楽
楽しいことをしている時は
気分がとても「楽」になる
でも
「楽」して生きようと思うことが
楽しいこととは限らないんだね
楽しいことをしている時は
気分がとても「楽」になる
でも
「楽」して生きようと思うことが
楽しいこととは限らないんだね
ひねくれてるからか
天邪鬼だからか
優しさから優しさを学ぶことが少ない
でも
自分に起きた辛いことを
周りにも起きて欲しくないと願っているからか
周りに優しくなれる気がする
だから
人から辛くされても
優しくなれそうな気がするから
自分は平気な顔しているんだと思う
十年近く前に中学の社会科教諭が言っていた
「年金は今の御年寄りを支えるためのものである」
だから、そもそも自分が貰うことを期待して
払うものではないのだろう
「期待」は物事を絡ませるし
自分は何人もの御年寄りを知っている
その人たちを何万円かで
支えられるなら安いものかな
逆に今の制度のままで
自分が年金貰うようになって
若い者たちが苦労する方が
耐えられない気がする
偶然も
過ぎ去ってしまえば
過去であり、必然だな
もともと「必然」自体が
偶然と奇跡の集まりなのだろうから
自分自身の存在は
必然?
偶然?
凹に凸をはめるのがジグソーパズル
人と人の関わりに置き換えてみたら
特殊な形をもつピースばかりの
ちょっと複雑なジグソーパズルみたい?
凹が短所や欠けている心?で
凸が長所や思いやりの心?であるなら・・・
誰かに凹を見つけたとき
自分がその個所に合う
凸を持っているなら埋めてみよう
凹に合う凸を作ることも可能だし・・・
「人」が皆、同じだったなら
真四角な形ばかりで
隣り合えても
簡単に離れてしまいそう・・・
お互いに凹凸を埋め合うことで
絆が深くなっていくんだろう・・・
沢山の凹凸を埋め合ったピースと隣りで繋がっていて
その周りに沢山のピース達とも繋がり
大きなジグソーパズルを作り続けながら
生活していくことが出来たら幸せなんだろうなぁ
自分の理想は何処にあるのだろう?
簡単に足で払えてしまうような
足元に置いてあるのかな?
心だけの思いで作って
心の近くに置いてあるかな?
頭も使って作って
自分の頭上にあるかな?
それとも
周りの人たちと共有して
空にあるかな?
「幸せ」も「不幸」も
勝手にやってくる訳ではないから
「幸せの花」を咲かせたかったら
種をしっかりと植えて
適度な量の光と水で育てないと
咲いてはくれない・・・
アサガオのように夜を経験して咲く花もあるらしいよ
「不幸の花」は咲かせたくないけど・・・
体に着いて来たり
人から貰ったり
どこからか飛んで来たりして
種が咲いてしまう
だから・・・
自分の花壇に「不幸の花」の種や芽が
存在していないか気を付けていないとね
周りの花壇にも目を配っていよう
それに・・・
「幸せの花」も「不幸の花」も
咲いたら種が出来るから
自分の花壇にも周りの花壇にも
広がるんだよ・・・
嘘をつく「メリット」って何?
正直、仕事ではウソツキな奴になる
0(ゼロ)から嘘をつかないと働けないかもしれない・・・
でも
私生活でついた嘘を思い出してみると
「メリット」があったことはない
財布を買うのをやめた
財布を落としてしまってから
買いに行くのが面倒なだけではない
(理由の一つではあるけど・・・)
お金に対して何か「希望」を持とうと思う
そう考えると
どうしても
格好の良い財布にお金を入れてしまうことで
「欲望」に変えられてしまうような気がするから・・・
勉強が出来るから頭が良い訳ではない
仕事が出来るから立派な訳ではない
自分が存在するために
伸ばすべきものは何だろうね
その不器用(真面目)なところを伸ばす?
そのわがまま(素直)なところを伸ばす?
その暴走的(感情豊か)なところを伸ばす?
その人に頼る(人を信用できる)ところを伸ばす?
その劣等感を持つ(人を傷つけない)ところを伸ばす?
ただ・・・
良いところを伸ばすには悪いことを知らないと・・・
悪いところを伸ばすには良いことを知らないと・・・
なんでも良いから一つのことを伸ばそうとすると
自然に見えてくるものがあると思うよ